大判例

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高松高等裁判所 昭和31年(う)383号 判決

被告人は高知県立安芸中学校を、五学年間を通じて一番又は二番の優秀な成績で、昭和十六年三月卒業し、昭和二十年十月から同二十九年十一月まで農林省食糧事務所の技官を勤め、北海道でも勤務したことあり、昭和三十年十月頃からは十五万円の資金で高知市旭町一丁目六五番地で妻滋と共に飲食店「蜂」を経営していた。

被告人はその二十六才の時小学校教員をしていた現在の妻滋と結婚し、長男泰造(六才)が生れたが、結婚後二年半位で夫婦の間にわだかまり(蟠り)ができて、被告人は深酒を飲むようになり、酔うて妻を叩くこともあつた。

昭和三十一年三月一日頃夜十一時半頃被告人が前示飲食店「蜂」の隣家の飲食店「晩酌道場」(武政敏子名義で経営)で、パチンコ店手伝高知市相生町の松浦真一郎外戎井功、戎井美津子の三人連れの客に「おんし」(お前)という言葉をしつこく使つたため、右松浦は憤慨して手拳で被告人の顔を数回殴つたので、被告人も椅子を持つて松浦に掛つて行こうとしたが、武政敏子その主人、武政等等に止められ、腹立てていた被告人がその妻と二人で本丁筋五丁目の巡査派出所から巡査を呼んで来た時には右松浦等は既に「晩酌道場」にいなかつた。それ以来被告人は松浦真一郎が見附かれば同人を巡査に訴えて懲らしめようと考えていた。同昭和三十一年三月七日午後十二時頃被告人は自宅の前示「蜂」飲食店にいて前示松浦が前示「晩酌道場」に来ていることを知り、被告人の妻をして前示派出所に巡査を呼びにやつたが、当夜十時頃から飲み始めて約六合の清酒を飲んでいた被告人はその返事が待ち切れず、松浦に対し恨みを晴らすため自宅炊事場の庖丁をタオルに包んでこれを懐中にして「晩酌道場」に乗り込み、前示戎井功外二人の女と共にいた松浦真一郎に対し「おんしやこの間よくも殴つたな」と恨みを述べ、同人と共に戸外に出てその西隣の川崎茂方前道路上で松浦と対峙し、興奮した被告人は翌八日午前〇時三十分頃前示持つていた刃渡り十五、六糎の庖丁(証第一号)で殺意を以て松浦真一郎(当時三十四才)の腹の真中辺を突き刺し肝臓の下面より胆嚢を切り開き深く肝臓実質に入る長さ四糎深さ約五、六寸の刺創を与え、よつて同人をして同八日午前二時二十分頃高知市城見町一四九番地野村外科病院で失血死に至らしめた

原判決認定の殺人の事実を認めることができる。殺人罪の犯意即ち殺意は、必ずしもそれが犯人の意識の表面に明確に現われたことを要するものではない。殺意が意識の深層にあつて、犯行時夢中で人体の重要部分にそれを対象として重大な傷害を与えた場合には、たとえ犯人の意識の表面に殺意が現われていなかつたとしてもなお殺人罪の殺意を認めなければならない場合もある。憤激の余り夢中で日本刀を以て人の首をねらつて切り附け又は刺身庖丁でその胸板をめがけて突き刺し、よつてそれらの部位に大損傷を与えて死亡させた場合には、その犯人がその犯行の終つた瞬間平静に返り、こんな筈ではなかつた、殺す意思はなかつたと真実反省したとしても、同犯人に精神上の欠陥がなかつた以上、それは意識の表面の問題に過ぎないのであつて、その意識の深層における殺意を認めて殺人罪の成立を認めざるを得ないのである。本件において被告人は恨みを晴らすべく松浦真一郎の腹の真中臍の辺をねらつて刃渡り十五、六糎の庖丁で深く突き刺し大刺創を与えて約二時間後に死亡させたのであつて、殺人罪の認定をせざるを得ないのである。原判決には事実の誤認はない。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 渡辺進)

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